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福岡地方裁判所 昭和31年(行)8号 判決

福岡市因幡町三十八番地

原告

渋谷リサ

右訴訟代理人辨護士

三橋毅一

市西須崎町二番地 福岡税務署長

被告

井手盛之

右指定代理人

福岡法務局検事 川本権祐

法務事務官 林正治

福岡国税局大蔵事務官

広瀬時義

右当事者間の昭和三十一年(行)第八号贈与税賦課決定取消請求事件について、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

被告が原告に対してなした昭和二十九年度分贈与税額を金三十三万六千二百九十円、無申告加算税額を金八万四千円とする賦課決定はこれを取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訟訴代理人は主文と同旨の判決を求め、その請求原因として原告は、昭和二十九年一月二十六日訴外佐伯陸宜から福岡市茶園谷所在の土地建物(以下「本件物件」と略称する。)を代金百五十万四千三百円で買受け、当時代金全額を支払つたが、被告は原告において訴外中島政行から本件物件買受けの資金として前記代金相当額の金員の贈与を受けたものであり且つその申告をしなかつたものと認定して、昭和三十年七月十日頃原告に対し昭和二十九年分贈与税額を金三十三万六千二百九十円、無申告加算税額を金八万四千円とした賦課決定をなし、その旨を通知した。

しかしながら、原告は中島政行から金員の贈与を受けた事実はない。原告は昭和五年八月以来福岡市東中州作人町において待合「つる」を経営していたが、その頃福岡県警察部に勤務していた中島と懇意となつて同棲するに至つたが同人は右退職後資産を有しなかつたので、原告の経営する待合「つる」の収入で生活し、昭和二十年六月右待合の家屋が空襲で焼失するや原告は訴外伊藤末九郎から資金の調達を得て、昭和二十二年八月以降肩書地で飲食店「つる」を経営し、その収益で中島を扶養している次第である。

原告と中島との関係は以上のとおりであるから、個人が原告に前記代金相当額の金員を贈与することはあり得ない。従つて原告は、本件物件を買受けるにあたつて、原告が長崎相互銀行福岡支店の無尽五十万円二口、二十万円八口を担保として同銀行から金百三十万円を借受け、これを資金としたのである。その弁済については原告経営の飲食店「つる」の収益より同銀行に日掛で預金し、右預金をもつて一ケ月毎に無尽掛金を払込み、無尽満期のとき金百三十万円を完済したのであつて、飲食店「つる」の経営者たる原告が借入れ、しかもこれを返済したのである。かように原告は本件物件取得の資金を中島から贈与されたことは全然ないから何ら贈与税等の賦課を受けるいわれはなく、被告の前記処分は違法である。

そこで原告は、昭和三十年九月十日被告に対し、再調査を請求し、更に福岡国税局に審査の請求をしたところ、昭和三十一年三月三十日審査の請求を棄却する旨の決定の通知を受けたので本訴に及んだのである。

なお原告と中島との間柄を詳述するのに、そもそも原告は悲しいかな無学文盲の身であるため、対外的接渉その他の便宜上被告主張の如く株式会社西日本公正商店街公社からの店舗賃借契約の名義人、新天町商店街商業協同組合の出資者名義人をいずれも中島政行にしていたけれども、右飲食店経営の成果はすべて実質上の経営者たる原告に帰属しているのである。このことは中島が死亡した場合を考えれば、自ら明らかなところであつて、もし飲食店「つる」の経営者が中島であるならば、同人死亡後は当然その妻中島マセ及び長男中島保行等が「つる」を経営して行くことになる筈である。しかしこの様な事態は世間一般の常識から見て到底認容し難いであろう。従つて被告の此の点に関する主張は一応もつとものように見えるが、右の点を考慮すると、それ自体世間の常識に反した無理な見解と言う外はない。従つて本件課税を機会に飲食店「つる」の経営主体を名実ともに原告とするべく、右店舗に関する一切の権利を原告名義にした次第である。と述べ、

立証として甲第一、二号証、第三号証の一乃至五、第四号証の一乃至十四、第五号証の一乃至八を提出し、証人中島政行、同前原清一、同北川幸正、同森友助、同福田栄五郎、同久留島豊吉、同中村次郎の各証言並びに原告本人尋問の結果を援用し、乙第一乃至第五号証の成立を認め、第六号証の成立は不知と答えた。

被告指定代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として原告の主張事実のうち原告が、その主張の日訴外佐伯陸宜から本件物件をその主張の如き代金で買受け、その頃代金全額を支払つたこと、被告は原告が右代金に該当する金員を中島政行から贈与を受けたものとしてその主張の如き各賦課決定をなし、その通知をしたこと、原告が飲食店「つる」を自己名義で経営していること並びに原告がその主張の如く賦課決定に対し再調査請求をし、福岡国税局が原告主張のような決定をなしたことはいずれも認めるが、原告が本件物件を購入するについてその主張の如き金員を資金に充てたことを争う。その他の点は知らない。

原告が訴外佐伯に支払つた代金については、その頃代金相当の金員を訴外中島政行から贈与を受けたものである。即ち原告と中島とは既に数十年来内縁関係にあり、その間同居し互に協力してその生活をもりたてゝいたのであつてかつて警察官をしたことがあるほどの中島がその間徒らに妻女の扶養に甘じ無為徒食していたとは想像できない。真実は原告の主張と異り、中島政行は飲食店「つる」を原告名儀で経営し、その維持発展に尽力して現在に至つており、右飲食店経営の成果はすべて実質上の経営者である中島に帰属しているのである。このことは次の事実からも明らかである。

(一)  前記飲食店用店舗は株式会社西日本公正商店街公社の所有であるところ、昭和二十一年八月二十四日中島がこれを賃借している。

(二)  中島は飲食店「つる」所在地一帯の小規模事業者をもつて組織する新天町商店街協同組合の組合員であり且つ昭和三十年三月一日同組合定時総会において理事に選任されている。

(もつとも本件課税処分後中島の同組合に対する出資を原告に移転する手続をとつている。)

(三)  飲食店「つる」の営業資金に関しては株式会社長崎相互銀行福岡支店と取引があるが中島が該取引を行つている。

次に中島は昭和二十九年一月二十一日長崎相互銀行福岡支店から自己の無尽掛金に質権を設定し、金百三十万円の貸付を受けているが、右借受けは本件物件等の買受代金に充てるためのものであつたことは、原告主張からも窺えるところである。

以上の次第であるから、本件物件の買受代金は、中島が原告の現在の地位と将来の生活とを慮つて原告に与えたものであつて、世上往々に見受けられる事例であり、敢えて異とするに足らない。

よつて原告に対する昭和二十九年度分贈与税の税額は(イ)贈与税として取得財産価格金百五十万四千三百円から基礎控除(相続税法第二十一条の四)を控除し、差引課税価格金百四十万四千三百円に税率(同法第二十一条の五)を適用した金三十三万六千二百九十円、(ロ)無申告加算税(原告は右贈与税について相続税法第二十八条による申告書を提出していない)として贈与税額金三十三万六千二百九十円から二百九十円を切捨てた三十三万六千円に百分の二十五の割合(同法第五十三条第二項)を乗じて計算した金八万四千円となり、右のとおり賦課決定をなした被告の本件処分には違法はなく、原告の本訴請求は失当であると陳述し、

立証として乙第一号証の一乃至五、第二、三号証の各一乃至四、第四号証の一、二、第五、六号証を提出し、証人筒井武二の証言を援用し、甲各号証の成立をいずれも認めると答えた。

理由

原告が昭和二十九年一月二十六日に訴外佐伯陸宜から本件物件を代金百五十万四千三百円で買受け、当時代金を完済したこと、また被告は原告において右代金に該当する金員を訴外中島政行から贈与を受けたものとして、原告主張の如き贈与税及び無申告加算税の課税決定をなし、これを原告に通知したことは当事者間に争がない。

ところで原告が本件物件を買入れた際支払つた代金の出所が何であつたかが、本件の争点である。即ち原告はその内金百三十万円を長崎相互銀行福岡支店から借入れて、原告経営の飲食店「つる」の収益でその弁済をしたと主張するに対し、被告は同飲食店の営業名義は原告であるが実質上は中島政行の経営であつて、その収益は同人に帰属するのであり、前記相互銀行からの借用主も中島であり同人がこれを本件物件買入資金として原告に贈与したと主張するのである。まず飲食店「つる」の経営者が原告であるか、また中島であるかを検討しよう。

成立に争ない甲第一、二号証、第三号証の一乃至五、第四号証の一乃至十四、第五号証の一乃至八、証人中島政行、同北川幸正、同森友助、同福田栄五郎、同久留島豊吉、同中村次郎の証言並びに原告本人尋問の結果を綜合すると、原告はもと芸妓をしていたところ、昭和六年頃独力で福岡市東中州において待合「つる」を開業するに至つたがその頃福岡県警察官の中島政行と知り合つて懇ろとなり同人が右待合に入り込んで内縁関係を結んだこと、原告は読み書きに暗く珠算もできないため、かつ商売柄殊に男の後楯を必要としたので前記待合経営にあたつても計理や対外接渉について中島の指示後援を受けていたが、金銭の援助を受けなかつたこと、中島は福岡市今泉に妻子(妻ませ、長男保行は現在妻帯して銀行員である)を持ち不動産として宅地二百坪、家屋二軒(その内一軒に家族が現住している)を有しているが、昭和六年三月県警察部を退職して以来、西日本相互銀行、福岡県食堂組合連合会等に勤務していたが、所謂妾を囲つて財産上の援助を与えてその世話をするという程の資産乃至心構の余裕を有していないこと、従つて原告と中島との間柄は、内縁関係というものの経済上、社会上対等の地位にあつて何等扶助関係はないこと、その後待合「つる」が戦災で焼失したため原告は知り合いの伊藤末九郎から融資を自ら受け、中島の助力によつて肩書地において株式会社西日本公正商店街公社(現在は株式会社新天町商店街公社)から店舗を賃借し、飲食店「つる」を開業し、昭和二十二年八月十四日その営業名義人になつたこと、(営業名義人が原告であることについては当事者間に争がない)原告はその経歴上飲食店などの経営に相当すぐれた手腕を有していて、中島と共にその営業に従事していること、中島は原告の住む「つる」と妻子の住む自宅との間を往来して生活していること、「つる」の従業員は大体において女二人、男三人の計五人であること、原告が同店の所得税並びに固定資産税の納税義務者であつて、これを納入していることをいずれも認定することができ、これに反する証人筒井武二の証言部分は措信できない。右事実によると原告は営業名義人であるのみならず実質上も飲食店「つる」の経営者であり、従つてその収益は原告に帰属するものであることを了解しうるのである。もつとも成立に争ない乙第三号証の一乃至四によると、被告主張の如く飲食店「つる」の店舗所有者は株式会社西日本公正商店街公社であるところ、昭和二十一年八月中島政行名義でこれを賃借したこと、飲食店「つる」の加入する新天町商店街商業協同組合の定款は組合員たる資格として物品小売販売業を行う事業者であつて、組合の地区内に店舗を有することを要件としているのに拘らず営業名義人でない中島政行の名義で右組合に出資がなされ、しかも昭和二十九年三月に同人が同組合の理事に選任されていることが肯認されるのであつて、いかにも奇異の感を抱かせられるのであるが、証人中島政行、同森友助、同福田栄五郎、同久留島豊吉、同中村次郎の各証言に徴すると前記組合は運営上定款の定めにとらわれず、営業主と認められない者でも同組合のため尽力し世話の行届く者を理事に選任する実情にあり、前示の如き閲歴をもつ中島政行の場合がこれに該当するものであること、しかも前叙の如く原告はいわば文盲であるので対外接渉等には特に中島の名を表面に出す必要もあつたこと、同組合員のなかには婦人はいないことが認められるので被告主張の如き右事実が存しても前記認定の妨げとはならない。

次に成立に争ない乙第四号証の二乃至四と証人前原清一、同北川幸正、同久留島豊吉、同中島政行の各証言並びに原告本人尋問の結果を綜合すると、原告は日頃から店舗が火災にでも遭つた場合落着先とてないのを不安に思つていたので、本件物件を買入れることを決心し、中島政行とも相談の上自ら予て飲食店「つる」の取引銀行である長崎相互銀行福岡支店に赴いて融資を申込み、中島政行名義の無尽五十万二口(昭和三十年八月三十一日原告へ名義変更)同二十万三口原告名義並びに訴外前原清一名義(別途借入金の担保のため貸主前原清一へ名義変更)の二十万五口に質権を設定して担保に供し、かつ原告自ら近隣の訴外久留島豊吉に保証人を依頼して金百三十万円の融資を受けたこと、そして前示認定のごとく原告が経営主体者たる飲食店「つる」の収益より日掛で無尽に掛込み各満期においてこれを前記借入金に弁済充当して銀行に対する支払を完済したことを認めうべく、これに反する証人筒井武二の証言は措信しない。もつとも成立に争ない乙第二号証の一によると前記借入につき銀行は借主を中島政行として取扱つているが、証人北川幸正の証言によると長崎相互銀行福岡支店では水商売乃至花柳界と取引する場合、その営業名義人が女性であつても正式の乃至内縁の夫がいることが判明すれば形式上夫名義にて取引するのを通例とし、実質上の借主の如何をさほど厳格に考慮していない事情も窺えるので右事実をもつてもいまだ前記認定を覆すに足らない。

以上認定の各事実を綜合してみると、原告は本件物件を買入れるについて長崎相互銀行福岡支店から金百三十万円を借りてその代金を捻出し、自らその弁済をなしたものであつて、中島政行よりその金員の贈与を受けたのではないことが明らかであるから相続税法による贈与税の賦課を受けるいわれはない。よつて被告が原告に対してなした本件贈与税賦課処分は贈与により財産を取得したものに該当しないものに対して、贈与税及び無申告加算税を課したものであつて、違法であるから、被告の課税決定の取消を求める原告の本訴請求を認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 藤野英一 裁判官 高石博良 裁判官 倉増三雄)

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